最近、自宅の体重計の調子が悪くて…。
久しぶりに体重図ったら、96キロくらいに落ちてしまいました。
「100キロを下回ってしまった、増やさなきゃ」ということで気合い入れて食べています(笑)
それでつい菓子パンばっか選んでしまって…良くないっすね。
先日、プライムビデオで「陸王」というドラマを一気観しました。
ご存知ですか?
2017年10月の「日曜劇場」で放送されたドラマです。
老舗足袋屋「こはぜ屋」は100年以上の歴史の歴史を持つが、足袋の売れ行きは年々低下。
社長の宮沢(役所広司さん)は打開策を考えていた。
そんな中、あるきっかけから自社の足袋の製造技術がランニングシューズ開発に活かせることを知る。
そして、たまたま観戦したマラソンでゴール直前に負傷でリタイアした茂木(竹内涼真さん)をサポートするために、こはぜ屋でシューズを作る決意を固め、「陸王」と名付ける。
陸王製造を巡る苦労と度重なるトラブル、痛がらせを繰り返す競合会社アトランティスとの戦い、そして茂木選手は怪我から復帰できるのか?
正直、軽い気持ちで見始めたのですが、どんどんのめり込んでしまいましてね。
日曜劇場らしいどんでん返しはもちろんですが、何度も困難が訪れても諦めない、こはぜ屋社員たちの姿に心打たれました。
(最近は昔より感動物語に弱くなった気がする…)
ストーリーとは別に、「マラソン」の面白さというか、魅力にも気づけた気がします。
今まで、お正月のマラソンとか全く興味ありませんでしたが、今後は見方が変わりそうです。
お時間ある時に、ぜひ「陸王」ご覧になってみてください。
さて、今回は最近ふと思ったことを綴ります。
「一人でできる趣味やスポーツって羨ましい」というテーマで書いていきます。
世の中のコンテンツ(趣味・スポーツ)は2つに分けることができる
世の中のコンテンツ(趣味やスポーツ)ってよく見ると、
「1人で行えるもの」
「2人以上で行うもの」
の2つに分けられるなって気づきました。
この場合の「行える」というのは、「試合・コンテスト」などを指すとします。
練習の過程や上達の過程は、当然一人だけで通れるものではありません。
「実際に人に見せる段階」とすると分かりやすくなるかなと。
一人で行えるコンテンツ(趣味やスポーツ)には、
- 音楽(歌・ギターなど)
- ダンス
- サーフィン
- 釣り
- ボルダリング
- スケボー
- ロードバイク
- 筋トレ・ボディビル
- ものまね
- 怪談
- 料理
- 生活の様子を紹介する(VLOG)
こういったものがありますかね(今、思いついたものを並べました)
それこそ、マラソンも一人で行えるスポーツです。
先述の「陸王」では、いかに多くの人が一人のランナーを支えているかが描かれていました。
とはいえ、レース本番で走るのは一人です。
一人で実施可能なコンテンツが羨ましい理由「情報発信しやすい」
ここまで、趣味やスポーツを「コンテンツ」と称した理由にもつながるんですが。
一人でできるコンテンツが羨ましい理由は「情報発信しやすいから」です。
言うまでもなく、現在は誰もが情報を発信できて影響力を持てる時代。
そんな時に、1人でできるコンテンツを持ってるって強いなって思いました。
動画で発信するとなった時に、一人だけで成立するって素晴らしいですよ。
実際に影響力を持てるかはまた別として、始めるだけならすぐできる。
しかも自分の意志とアイデア次第で、長く続けることが可能。
一人だけで生み出せるコンテンツって実に魅力的。
格闘技は「相手あってのもの」
羨ましい・魅力的って思うのは、結局「格闘技」との対比なんですよ(笑)
先ほどの一人で成立するコンテンツと違い、格闘技は「相手あってのもの」です。
対戦相手がいなければ成立しないんですよ。
どんなに強くても、それが見せれるのは相手がいるからです。
言うまでもなく、それが魅力で面白さだったりします。
ただ、自分一人で発信できるコンテンツでは無いですよね。
少なくとも、現在は。
だから「大会」「試合」という場がないと、なかなか表現できない。
それって弱点だと思うんですよね。
コンテンツになるかどうかは主催者のさじ加減…
格闘技で表現するには、大会や試合という機会は実に大事です。
なのに、なのにですよ。
コンテンツになるか?情報発信できるかは主催者のさじ加減です。
プロ格闘技の場合、そもそも放送などされなければ一般の人々に届きません。
アマチュアの試合にしたって、「動画撮影禁止」になっている大会もある。
要するに、自分ひとりではどうしようもない面が存在します。
他の要素に思い切り左右される。
「○○くんが試合しているところ、見てみたい」と言われて、動画サイト上にないとなかなかの機会損失です。
「だったら自分でやる!」と思うのは当然ですよね。
歌やダンス、怪談(笑)ならそれが可能で、実際にそういう流れになってきています。
ただ格闘技は、相手がいなければ成立しませんし、発信できません。
「試合に出る」という当たり前に対し疑問が
最近、「試合に出る」という当たり前に対し疑問を感じまして。
「試合する場所を自分で作って、発信するが良いのでは」と思ったのです。
格闘技で有名になりたいとか脚光を浴びたいって、突き詰めると「自分の試合を多くの人に見てもらいたい」という願望だと思うんですよ。
練習仲間はもちろん、知人や友人にね。
ならプロとかじゃなく、自分で発信することでも叶えられるかなと。
むしろそっちの方が、多くの人に見てもらえる可能性だってあるかもしれない。
もちろん魅力的で出てみたい大会もあります。
ただ、そういう大会もはじめは誰かが作ったものだからね。
格闘技にも、もっと色んな表現方法があっても良いと思うんですよね。
自分で作って、自分で試合して発信するという。
そんなことを考えた時に、「格闘技は相手がいなければ成立しない」という当たり前に気づきました。
継続的に相手が用意できなければ、長く続けることは難しいですね。
だから「一人で成立するコンテンツって良いなぁ」と思ったのです。
格闘技の練習は純粋に楽しいんです!それだけでいいんですよね
「一人でできるから羨ましい」とか言いながら、相手と競うというのが醍醐味なのは間違いないんですけどね。
コンテンツだとか試合とか置いておいて、練習すれば楽しいし幸せになれる!
それだけでいいんですよね。
ただこれからは、もっと発信方法や表現方法があってもいいと思います。
思いついたことの忘備録も兼ねて、綴ってみました。