プロレス・格闘技がなくても「食える身体」?

思うこと

2022年が始まって、10日が経ちました。
先日、東京にも雪が降りましたね。

雪景色というものがわりと好きなので、少し心が踊りました。
ただ、日中あまり寒さは感じないんですよね。
今冬はまたどこかで降るのでしょうか。

冬に雪が降るのは変わらない。
でも人の心は変わっていくものです。

年末年始の格闘技・プロレスを1秒も観ていない(それが普通なのか)

そういえば、この年末年始からお正月まで、格闘技の試合やプロレスを1秒も観ていないことに気づきました。

大晦日にやるやつとか、1月4日・新日本プロレス東京ドーム大会とか。

ほとんどの人にとってはそれが普通なのかもしれません。
私は以前はそんなこと無かった。

昔はそれこそプロレスバカ・格闘技バカだったので、こういった年末年始はそれはそれは楽しみな時期でした。

大晦日はテレビで「プライド」や「ダイナマイト」を食い入るように観ていました。
1月4日は、大会当日の深夜に放送される新本プロレスの東京ドーム大会を夢中になって観ていました。

時は経ち…この年末年始は、全く観ることもなく。
でも、物凄く充実していました。

まぁ、そういうことなんでしょう。

年齢を重ね、シンプルに「冷めた」ということもあるでしょう。
でもそれだけじゃないんだよなぁと。

勝った!強い!…「で、それが何なの?」

最近、自分がこれまで思っていたことや常識みたいなものを、いちいち疑うことが多くて。
好きだったものが急に冷めたり、逆に今まで無関心だったものに興味が出ることが多くなりました。

めちゃくちゃ面倒くさいw

それは格闘技やプロレス(観戦)でも例外ではなく、「なんか違う…」が増えました。

例えば、格闘技では「勝った」とか「強い」などが物差しになります。
もちろん昔は「強いことは大切なこと」と思っていましたし、そのために頑張った時期もありました。

ただ今は、勝った・強いに対して「で、それが何なの?」と思ってしまう。

別に勝ったからって、世の中の何かが変わることはない。
そりゃ勝負事に勝つのは素晴らしいことだが、それは当人同士の話。
格闘技の勝ち負けなんて、社会的には特に意味は無いのかなと。

実はファンだって、格闘技の勝ち負けには、あまり興味はないんじゃないか。
現に、大晦日にやってた大会だって、真剣勝負とは別のことばっか話題になってるし。

そもそもその大会だって、人が作ったものだし…。


とか色々考えて、自分が面倒くさい(笑)

プロレスは勝ち負けを超越したところにある…んだけど

プロレスは勝ち負けを超越したところに位置しています。
プロレスの入場曲は今でも気持ちが上がりますし、昔観た懐かしい試合は今でもテンション上がります。

ですが徐々にプロレス観戦などから遠ざかり、話題なども追えなくなり、今は熱が冷めちゃいました。

ファンの間では「暗黒時代」とか言われるんですけど、私は2000年代前半の「格闘プロレス」が好きだったんです。

格闘プロレスが好きというか、あの時代の独特な「殺気」みたいな空気が好きだったのかも。
試合そのものはもちろん、人間のリアルな感情のぶつかり合いっちゅうか。
それが少ないから、冷めたのか。

うーん、なんかプロレス離れした理由が逆に分からなくなってきました(笑)
今年は、もう一度本腰入れてプロレス観てみようかな。

人の心は変わる…プロレス・格闘技がなくても「食える身体」になった?

話が脱線しましたが、要するに何が言いたいかというと、

「人の心は変わりますよね」

ということです。
ある意味で「プロレス・格闘技がなくても食える(生きていける)身体」になったというか。

昔は夢中になったことでも、変わることはあるはず。
決してマイナスなことではないと思います(自分のことですが)

もちろん格闘技の練習はしていて楽しいです。
ただ今は、昔とは楽しみ方が変わっているのは事実。

己の気持ちと向き合うようにして、文章を書きました。
自分のブログなので、また色々と思ったことを綴ろうかなと。