3月2日はゼロワン旗揚げ戦の日だ!

プロレス

ユーチューブチャンネル「ゾゾゾ」が面白すぎる!
(心霊スポットに突撃してレポートするんですけどクオリティがやばい)

それはいいとして、今日は何日?
ん?3月2日。3…月2日?

そうだ!18年前の今日、ゼロワンが旗揚げした日じゃん!
ということで今回は、ゼロワン旗揚げ戦を今更振り返ってみたいと思います。
※現役レスラーに関しては敬称略させていただきます。

18年前の両国国技館でゼロワン旗揚げ戦が行われた!

2001年3月2日。

東京・両国国技館で「ZERO-ONE」(ゼロワン)が旗揚げ戦を行いました。
故・橋本真也さんが設立した団体でした。

ちなみに他のメンバーには大谷晋二郎、高岩竜一などがいました。
この大会のメインイベントが「橋本真也・永田裕志vs三沢光晴・秋山準」でした。

軽くおさらい。2000年~2001年の初め

このゼロワン旗揚げまでの流れを軽くおさらいしましょう。

2000年4月7日に橋本真也さんが小川直也と引退をかけて戦い、敗退。
一度は引退を余儀なくされるも10月に復帰。だが新日本プロレスと決別。解雇を通達される。
フリーとして試合しつつ、旗揚げ戦に向け準備をすすめる。

2000年8月。ディファ有明で「プロレスリングノア」が旗揚げ。
全日本プロレスから独立した故・三沢光晴さんを中心に全日本プロレスとはカラーが違う演出と試合内容で注目を浴びる。以後、有明を中心に興業を展開していくことに。

新日本プロレスで「G-EGGSS」(綴りちがうかもw)として活躍し、2000年末のG1タッグリーグで、先日引退した飯塚高志とタッグを組み優勝したのが永田裕志。

21世紀になり2001年、3月に旗揚げ戦で一堂に集まるのでした。



当時ありえなかった「新日本系対全日本系」の対抗戦

さきほどの雑な振り返りはとりあえずどうでもいいとして(笑)

このメインイベントがなぜ凄すぎたのかというと、これが「新日本系対全日本系」の初の対抗戦だったからです。

それ以前もアントニオ猪木と馬場が戦ったりはしましたけど、この時とは少し事情が違います。
新日本は「闘魂三銃士」というブランドがあり、全日本は「四天王」というブランドが確立されていました。

この2つが交わるなんてありえなかったんです。ファンは頭の中で想像していましたが、まさか本当に実現するなんて夢にも思わなかったので、両国国技館は大爆発しました。
まさに橋本真也さんが唱えた「破壊無くして創造無し」が形になったメインイベントだったんです。

もっというとね、会場にも団体らしさって現れていて、両国国技館は新日本プロレスのイメージだったんですが、全日本系の三沢・秋山がいるというのがとにかく新鮮でした。

ポイント1.秋山準のギラギラ感

この試合、ファンによって見所はあると思いますし、好きな選手が違えばポイントが違うわけですが、私なりのポイントをこれから挙げていきます。

ゼロワン旗揚げ戦でまず思い出すのが、秋山準のギラギラ感なんですよね。
4人の中で一番最初の入場だったのですが、当時の入場曲「SHADOW EXPLOSION」がかかり、入場してきたときの秋山のギラギラ感がやばいわけです!

オーラ出まくり!これからでかいことやってやるという決意が滲み出ていました。

当時のプロレス界で、秋山準はキーマンだった

ノアというだけでなく、当時の秋山準はプロレス界のキーマンで、時代を作る男でした。

2000年8月のプロレスリングノアの旗揚げ戦。
メインは四天王「三沢・小橋・田上」に秋山が加わったタッグマッチで、全日本プロレスから見ていたファンは誰しも四天王プロレスの再現を期待しました。
ところが、主役は秋山でした。三沢をフロントネックロックで絞め落とすと、翌日の小橋建太とのシングルでもフロントネックロックで勝利。
団体の主役になったのでした。
当時、全日本プロレスではある意味「ご法度」だった「総合格闘技の香りがするサブミッション」を秋山準が初めて解禁したのでした。

その後、プロレス界はフロントチョーク祭りに(笑)

なんでか知らないですよ、知らないですけど、秋山準がフロントネックロック(フロントチョーク)を解禁して以来、プロレス界はフロントチョーク時代を迎えたのでした(笑)
PRIDEを意識してか知らないですが、まぁぁぁ異常にフロントチョークでの決着が多かったです。

ポイント2.永田と秋山の初めての接触!

そして現在につながるポイントとして、永田と秋山のファーストコンタクトを迎えました。

解説の武藤敬司は「これだけ細かいグランドの攻防で観客を魅了できる。こいつらプロですね」と言っていました。レスリング出身ならではのグラウンドの攻防は見応え充分!

お互いの得意技をあえてかけ合うなど、めちゃくちゃ意識しあって認め合うぶつかり合いでした。

この試合からライバル関係が芽生えた2人は、お互いのタイトルマッチでともに入場しましたし、2002年の1月4日東京ドームで、GHCのベルトをかけて試合したこともありました。
現在も続くライバルストーリーの始まりでした。

ポイント3.三沢のエグすぎるエルボー

にしても、この日の三沢さんのエルボーは凄かった!
フィニッシュはバックドロップからの片エビ固めで三沢さんが橋本さんからフォールを取ったわけですが、バックドロップ直前のエルボーがエグすぎる!

「バコーン!」と音が鳴るくらいの強烈なエルボーを、秋山に気を取られていた橋本に見舞ったのでした。

結果、旗揚げ戦なのにゼロワン勢は全敗に終わりました。

ポイント4.小川直也乱入!歴史的な大乱闘へ

試合後の乱闘は、間違いなくプロレスの歴史に名を残す豪華な乱闘でした(笑)

試合後になってもやり合ってる橋本とノア勢のもとに暴走王・小川直也が乱入!
「橋本!だらしねぇ試合してんじゃねえぞ!おい三沢、受けてもらおうじゃねぇか勝負を」
(小川選手は、ちょくちょく倒置法を用いてましたねw)

そんな小川に対し、三沢さんからエルボーを放っていきました!

ありえない!三沢のマイク

三沢光晴は試合後のマイクアピールは、ほぼしませんでした。
そんな三沢が「お前たちの思い通りには、させねぇよ絶対に」と言い放ったのです。
(三沢選手も若干倒置法を用いていましたねw)

解説の金沢克彦さんも大興奮でした。
この乱闘には藤田和之もいましたし、様々なドラマを生んだ大乱闘でした。

プロレス界の団体間の壁が壊れた日だった

文字通り、プロレス界の壁が壊れた日でした。

21世紀の初めというのもあったのかもしれませんが、この試合後からノアと新日本が本格的に交流を始めました。

高山善廣選手がPRIDEに出たのは5月でした。
プロレス界だけでなく、プロレスと格闘技のボーダーレスもさらに進んだ時期だったんですね。

ちなみに2001年3月は、CHEMISTRYがデビューしました!おぉ、重なってる。
半端な夢のひとかけらが。

あれから18年。永田と秋山はいまだ現役!

早いもので、あれから18年。

残念ながら橋本さんと三沢さんは他界してしまいました。あの伝説の試合は二度とできないということです。
秋山準と永田裕志はいまだ現役!アンチエイジングを掲げた時期もありましたが、永田選手も秋山選手もまだ動けるからすごいよなぁ!

秋山準は全日本プロレスの社長で、いまだギラギラしてるのがかっこいい!

タッグでもシングルでも、2人が絡むところをまた観たいものです。

2019年。団体間の壁は壊れるか?

ここのところ、新日本と他の団体の交流戦が見られませんでしたが、ジャイアント馬場さんの追悼興業で、久しぶりに団体交流戦があったようです。

今だからこそ、プロレス人気が蘇った今だからこそ、痺れるような団体対抗戦が見たいです!
2001年3月、あれから歴史が変わりました。毎年3月2日になると思い出すでしょう。

と、3月3日に書いてます(笑)