道場にてクラスを担当するようになってから随分と時間が経ちました。
人生うまくいかないことばかり。考えがブレることだって少なくありません。
ただ、道場でのクラス担当については、わりと明確な定義というか「これが大事だよね」という考えを持っているつもりです。
そのなかで、最近思うことがあります。
「参加人数が多い=盛り上がっている良いクラス」なのか?
どうも、「参加人数が多い=盛り上がっている良いクラス」と考えられている気がする。
昔からそういった傾向はある。参加した「人数」が基準になっているという。
参加者の数だけで、そのクラスがどうかなんて判断出来ないと思うのだが…。参加人数が最もわかりやすいから、とりあえずそれで考えてるってなところでしょう。
道場という所は「生き物」みたいなもので、時期や季節で参加者の数が大きく変動します。
当たり前ですが、道場生それぞれの都合によっても変わります。だから一概には判断できません。
「多い=良い」とはあまりにも短絡的だと思う。
ちなみに、「○○クラス盛り上がっていますか?」と聞かれることがある。
その裏に「盛り上がっているなら参加する、盛り上がっていないなら参加しない」という気持ちが見え隠れしているようでモヤモヤする。
(それは考えすぎか。そこまで考えて言っていないか)
気になるなら、自分で参加して確かめてみればいいのでは?(笑)
それはさておき。
個人的に参加人数は気にしていません。それは、私なりの「定義」があるからです。
私が考える「道場ではないもの」
参加人数より大事なものを考えるには、「そもそも道場とはなにか」について考える必要があるかもしれません。
そこで、私なりの道場の定義を話す前に、「道場ではないもの」を先に綴ってみます。
以下より記すのは、あくまで私自身の現在の考えです。
(もちろん、「道場」というのは私が担当するクラスを指します)
スポーツジム・フィットネスジムではない
まず、スポーツジム・フィットネスジムではない。
スポーツジムやフィットネスジムは、基本的に「健康を手に入れるところ」です。もちろん楽しくて通っている人もいるとは思いますが、ほとんどは健康にとって必要だから、(仕方なく)通っているのではないでしょうか。
したがって、より手軽さが重視される傾向にあります。「短時間でも効果あり」「着替え不要」みたいな。
そして、スタジオレッスン等を除くと、他の会員と関わることはほぼありません。
「身体を動かす」という点では共通しているものの、私が考える道場とは異なります。
部活ではない
皆で集合して、一所懸命に練習する。試合を控えている人がいたら皆でサポートする。
格闘技や武道の道場は、「部活動」に似ている部分もあります。
実際、「大人の部活」という言い回しもみかけますし、「あぁ確かに!」とも思います。
ですが個人的に、部活という言葉には「勉強はそっちのけで良い」というイメージがある(笑)
放課後の部活のために授業中は寝ている、みたいな。(何のイメージなんだろう?)
野球やサッカーなどの強豪校ですと、実際そうかもしれません。
また、部活には「試合ありき」「勝つのが大事」という意味も含まれているのかなと。自ずと、「エース」「補欠」とかいう概念も発生する。
翻って、道場に通っている方は社会人の方がほとんどです。言うまでもなく、部活(練習)のために本業(仕事)は寝ているというわけにいかないわけで(笑)
そして個人的に、試合ありきで考えるのは好きじゃなく、「試合出場が目標」とも全く考えていません。当然ですが、エースも補欠もありません。
ゆえに、部活…とは少し違うような気がする。
道場とはパワースポットである(と思う)
個人的に、道場は「パワースポット」であると思っています。
「やる気を補充する場所」
「心を空っぽにしたいときに訪れる場所」
「定期的にお参りに行く場所」
つまり道場は、スポーツジムや部活といった要素はありながら、それよりも神社・仏閣に近い場所。そして、心や体を元気にする具体的な手段として「格闘技の練習」があるという位置づけです。
雰囲気的には「ワイワイ、ガヤガヤ」というより、ピリピリしているわけではないけど適度に張り詰めていて、そして澄んでいるといったようなイメージ。
社会人になれば、誰しも悩みの1つや2つは持っているもの。無理やり忘れようとしてもなかなか難しいはず。
そんな時に道場の練習に参加して、(多少の)痛みやキツさが伴う格闘技ならではの緊張感ある時間を過ごすことで、自然と練習中は悩み事や考え事が消えている。
そして練習後、心も身体もスッキリしたり、名案が頭にぱっと浮かんだりする。きっと明日への活力が湧いてくるあるでしょう。
こういった感じで利用してもらいたいわけです。社会的な意義はそれなりにあると思う。
そして、道場がパワースポットだとすれば、参加人数はそれほど関係ありません。
例えば、「三峰神社」や「香取神社」に行って、「人が少ないじゃんか…残念」とはおそらくならない。
これが正月とかなら、「人が多いね!正月っぽいね!」とプラスかもしれませんが、普段は関係ないし、むしろ人が少ないほうがラッキーとさえ思えるのではないでしょうか。
要は活気というより、「熱」や「エネルギー」「パワー」があるかどうか。人数は大切ではないと思うんです。
さきほどの話に戻り、もし「部活のようなもの」だと考えると、人数が少ないことはわりと明らかなマイナスです。
余談ですが、この間実家に帰省した時に聞いた話。
今、高校野球の人口が減っている傾向にあり、他校との「連合チーム」として大会に出場する高校が少なくないらしいです。
チームスポーツの場合、参加人数が不足していては、プレーそのものができなくなるということ。
でも格闘技は個人競技ですので、そこまで関係ないのかなと。
極論、一人でも練習したり強くなったりはできます。(相手がいないと成立しない点は同じですが)
そして格闘技は「己を見つめる」という部分も強い。つまり、「周りなんか気にしてんじゃねぇ」と言えなくもないのかも(笑)
ここまでまとめると、道場は神社仏閣に近いパワースポットであって、心や体を元気にするする手段として格闘技(MMA)を行っている。だとしたら参加人数はそれほど重要ではない、というのが私の認識です。
道場に「神棚」を作った日
「Googleフォト」というサービスを利用していると、たまに「○年前の写真です」みたいな形で、懐かしい写真が表示されます。
先日、道場の神棚の写真が表示されました。
7年前、当時道場生だった方と、「道場はパワースポットですよね!」という話で盛り上がりました。
個人的に「これは間違いない」という確信があったので、神棚を設置することにしました。
まず、お盆休み中に御札を集めました。
(パワースポットといえばお寺や神社だろうと思っていた)
長野県長野市の「戸隠神社」にも行きました。それから道場を掃除し、神棚を作り祀ったという思い出があります。
その当時から、「道場=パワースポット」という考えでクラスを担当してきました。
あながち間違ってはいないと自信を持っています。
現在の神棚。少し豪華になっています(笑)
参加人数は関係ない!心や体が元気になれるかが大事
もちろん参加者からの視点もあるでしょう。「参加人数が多いほうが良い」という方だっているはず。
ただ私は、参加人数はそれほど関係ないと思っています。なぜなら「パワースポット」だからです。
たとえ参加者が1人でも2人でも、そこに「熱」や「エネルギー」が生まれれば良い時間である。
実際、参加者が少なくても「充実した良い稽古だった」と思えることは多いし、参加人数が多く活気があるように見えても「中身が空っぽだったな」と思う稽古もありました。
したがって、参加人数を増やすために、安易に「手軽さ」「ゆるさ」「ライトさ」とか絶対考えたくないなと。
「ある程度の準備が必要、だからこそ良いこと」だって多いと思う。
きっと「手軽に始められるものは、手軽にやめられるもの」といえるのではないかと。
良い意味で、道場の練習が会員さんの生活にとって欠かせない存在(時間)になっていたいと思う今日この頃です。