日本プロレス史検証界主催・村上和成選手トークショー

プロレス

こんにちは、藤澤です。

8月もあっという間に終わり、9月に入りました。
個人的には、このくらいの時期が一番好きです!今年もう一回くらい、高尾山のビアガーデン行きたいです!

さて、そんな令和最初の8月の終わりに東京・新宿区大久保で、とあるプロレストークショーに参加してきたので様子を綴りたいと思います。

大久保駅とか、久しぶりに降りましたわ。
昔、MMAの試合の計量で何度もこの駅を降りましたが、毎回瀕死の状態で改札出たのを覚えています(苦笑)んなことはどうでもいいとして。

トークショー…実際はプロレスガチ勢による「検証会」です!
そしてゲストは、平成のテロリスト・魔界のプッツンファイターこと村上和成選手でした。

村上和成(むらかみかずなり)選手とは?

村上和成(むらかみかずなり)選手は、日本のプロレスラーです。

(デビュー当時は、村上一成という表記でした)

1990年代、バーリトゥード(総合格闘技)の黎明期に、日本ヘビー級総合格闘家のエースとして活躍しました。

伝説の総合格闘技イベント「PRIDE1」の第一試合を戦ったのは、この村上選手でした。

その後、アントニオ猪木が起こした団体「UFO」(ユニバーサル・ファイティングアーツ・オーガニゼーション)に参加。
兄貴分・小川直也とともに新日本プロレスに参戦し、大きな衝撃を残します。
2005年に、前田明日、柴田勝頼とともに「ビッグマウスラウド」を旗揚げ。
その後、ゼロワン、ノア、天龍プロジェクト、など数々の団体に参戦しました。

破壊王・橋本真也を駐車場で襲撃「平成のテロリスト」の異名をとる

村上和成選手のニックネームは「平成のテロリスト」です。

きっかけは2000年3月の横浜アリーナ。
「力道山メモリアル」という大会で、当時抗争真っ只中でまさに犬猿の仲だった小川直也選手と橋本真也選手がタッグを組むことになりました。

試合当日、会場入りする橋本選手を駐車場で襲撃したのが村上選手だったのです。

かつて、長州力を花道で襲撃した藤原喜明(ふじわらよしあき)が「昭和のテロリスト」と呼ばれたのと掛けて命名されたには間違いありません!

村上選手がプロレス界で注目されるきっかけの一つになりました。

「一成」から「和成」「ビッグ村上」と変化

ちなみにUFO所属として新日本に上がっていた頃は「村上一成」という表記で、2002年くらいから「村上和成」と表記が変わりました。

その後は「ビッグ村上」に変化して、現在は「村上和成」の表記に戻っています。

村上和成選手の大ファンだった藤澤

かれこれプロレスを観始めて20年近く経つ私ですが、どっぷりプロレス好きになり、一番最初にファンになった選手だったんです。

(確か、2001年の代々木大会で獣神サンダーライガーと乱闘したのがきっかけでしたw)

言葉にするのは難しいけど、村上選手の殺気、何をするか分からない緊張感。
総合格闘技を好きで見ていたところからプロレスを見始めた私にとって、村上選手のスタイルこそプロレスだったんです。

長野県にいた頃、まだ深夜に「ワールドプロレスリング」が放送されていたころから、毎週楽しみに見ていたものでした。

(野球中継が延びた影響で、違う番組が録画されていた時は本気で怒りましたw)

全てはここから始まった、といっても決して過言ではないくらいです。

きっかけは村上選手のツイッターでした

きっかけは村上選手のツイッターでした。

ツイッター自体は自分でやっていませんが、ツイッターをちょくちょく覗きます。
このトークショーの告知を、6日前くらいに見たんですよね。

こう、直感的に、「行く!絶対に行くぞ」と思いました。
このタイミングでこれを目にした。「何かのサインじゃないか」と思ったのですよ。

そのままメールで申し込み。
もうドキドキしながら、当日を待ちました。
前日の夜、仕事の帰りはワクワクし過ぎて、武蔵小金井駅前の鶴亀屋によってつけ麺特盛と台湾丼、生ビールとたらふくいただいてしまいました…。

日本プロレス史検証会・会場へ

そして当日、大久保駅からほど近い会場に行きました。
当初はトークショーと思っていたので、ワイワイガヤガヤな雰囲気を予想していましたが、全く違いました。

まさにプロレスガチ勢だらけ!少しかじっただけの人が放り込まれたら気後れしかねない。
(そんな殺伐とはしていないですよw)

この雰囲気、最高ですね!
渡された資料とか、やばいっすわ!

それもそのはず、日本プロレス史検証会を主催しているのは、元週間プロレス・安田拡了さんですから、そりゃ質が違うってなもんです。

長年に渡って日本プロレス界の最前線を観てきた方ですよ。

席なんですが、かなりだいぶ前の方。

時は来た!時間になりました。
ついに村上和成選手登場です!

一気に検証トークへ!村上選手あるある「むちゃくちゃデカい」

村上選手あるある、だと私は思っているんですが、「めちゃくちゃデカい!」っていう。
小川直也選手と並び立つと、テレビ画面から観た時に小柄に見えがちですが、実際は全く違います。

186センチありますからね。そりゃ大きくて当然なんですが、は…迫力が凄い!
最近はプロレスラーの小型化が進んでいるようですが、「やはりプロレスラーは大きくないとな」と思うのは私だけじゃないはず。

一気に検証トークに入っていきます。

UFOのこと、小川直也のこと、99年1月4日のこと

検証テーマは、アントニオ猪木が興した団体「UFO」に入るまでのいきさつや、兄貴分・小川直也選手のこと、そしてちょうど20年前の「99年1月4日 橋本真也対小川直也」に関する話題から入りました。

やはり、一次情報に触れるのは大事ってなもんですよ!
いまだに数々の謎や憶測が残る「99年1月4日東京ドーム」の超ド・一次情報っすわ!

プロレス史上最大のセメントマッチ・ブック破りと言われた小川直也と橋本真也の3戦目に関して詳しく見るなら、こちらの記事も参考になるはずです。

プロレス都市伝説?「小川直也は興奮剤を口にしていた」

小川直也は試合当日、興奮剤を飲まされていたのでは」という噂があります。

これに対し、村上選手は「興奮剤は飲んでいないはず。小川直也という男は普通の人間とは違うから、スイッチが入ったらどこまでもやるし、師匠である猪木の指令ならなにだってやるはず」とおっしゃっていましたね。

村上選手はこの試合後の新日本プロレス勢とUFO勢の大乱闘で、1人で新日勢と喧嘩!
三途の川を見かけ重体に追い込まれました。

その日の様子や乱闘時の状態など、リアルに語っていただきました。
あー、ほんと怖い…。
改めてあの試合が、如何にありえない状況で行われたことが分かります。

飯塚高史選手、安田忠夫選手はじめ、新日本の選手に本気で仕返ししてやろうと思っていたとか。

負傷後、ふとした時に「あれ?今日ご飯食べたっけ?」と思い出せなかったり、後遺症がとにかく酷かったらしいです。

控室の異常な雰囲気に関する話も凄かった。

ほとんど何も聞かされないで会場入りした村上選手も、「これは何か起こるかも」と思ったそうです。

UFOは猪木さんの最高の武器

そして兄貴分・小川直也選手とのエピソードも本当に興味深い!
当時UFO所属として、たった2人で新日本プロレスに乗り込んで戦っていました。

猪木が村上選手に「お前はキャンバスにどんな絵を描くんだい」と聞き、村上選手が「勝ち負けです」と答えたら猪木が、「お前はまだまだアマチュアだな」と答えたという、私的に好きなエピソードも聞くことができました!

そんなUFOは、村上さん曰く「猪木さんの最高の武器」だったと。
当時、新日本での神通力を失いかけていたアントニオ猪木が力を示すための武器だった。

そして、2002年3月2日のZERO-ONE両国大会で小川直也選手と仲違いする話まで詳しく聴くことができました。

2001年の3月2日に旗揚げした「ZERO-ONE (ゼロワン)」の1周年記念大会。

小川直也選手とシングルマッチを行う大谷晋二郎選手のセコンドに、なぜか村上選手がいたのでした。
当時リアルタイムで観ていて、そこまでのいきさつが良く分からなかった。
(あーそういうことが裏であったのか…)としみじみ聞き入りましたよ。

魔界倶楽部・星野勘太郎さんのこと

村上選手を語るうえで欠かせないのは、「魔界倶楽部」(まかいくらぶ)と言う武闘派ユニットで、新日本プロレスのマットをかき回していた時代です。

2002年のG1から、新日本の本隊とバチバチのぶつかり合いが始まったのでした。

安田忠夫選手が2002年の8月8日、「UFO LEGEND 東京ドーム大会」に出場することになって、G1の広島大会の蝶野正洋戦を欠場。

代わりに現れたのが「銭ゲバマスクマン」で、蝶野選手をハイキックでダウンさせたのが、元パンクラスの柳澤龍志選手だったんだよなぁ。

武闘派ユニット・魔界倶楽部を率いていたのが、星野勘太郎(ほしのかんたろう)さんです。
突貫小僧というニックネームを持つプロレスラーで、故・山本小鉄さんとの「ヤマハブラザーズ」で一世風靡しました。

魔界倶楽部を率いていた時の、星野さんの名セリフが「びっしびしいくからな!」でした。
星野勘太郎さんとのエピソードがどれも面白かったです!!

村上選手を魔界倶楽部に引き入れたのが、星野勘太郎さんだったんですね。

車修理の話や、魔界倶楽部が星野さん追放しようとなった時の話、その他思わず聞き入ってしまうエピソードばかり。

魔界倶楽部と新日本プロレスの戦いも、どんぴしゃリアルタイムで観ていたんですよ。

2002年12月・大阪。
本隊と魔界倶楽部の対抗戦として組まれた2大タイトルマッチ。
メインの IWGP戦 「永田裕志vs村上和成」は、私の中でベスバウトの1つだね。


新日本の巡業が長野県の上田市と松本市に来た時は、売店で星野勘太郎さんのサインをもらいました。とても優しく対応してくれましたよ。

2010年に他界されましたが、星野勘太郎さんの伝説はいつまでも消えませんね。

バーリトゥード黎明期の話

プロレスの話以外だと、バーリトゥード(総合格闘技)の黎明期に海外の金網で試合した話も興味深い内容でした。
MMA(ミックスマーシャルアール)と呼ばれる現在は、ルールがしっかり整備され、金網など試合場も安全で選手が試合しやすいものですが、当時は全然違います。
村上選手も話していましたが、ファイターと言うよりは喧嘩屋ばかりが参戦して、控室は凄いことになっていたとか…。

VTJでのグレイシーへの敗北、当時は「バーリトゥード、日本最弱」と言われていたものでした。
そんな状況に一矢報いたのが村上選手。

強豪・バートベイル選手に勝ち、キックボクシングの伝説・モーリススミス選手とも戦っています。

村上選手が思う理想のプロレスラー像

村上選手が理想とするプロレスラー像についても聞くことができました。

プロレスラーという以前に、ほんとに村上選手は「プロ」を意識されているのだと思います。
「一流プロレスラーは、誰もが羨むような生活をしなければないらない」という話は興味深かった。

質問コーナーで手を挙げてみた

興味深い話の連続で、気が付いたら残り30分。
ここから、質問コーナーに入りました。

参加した方からの質問に、村上選手が答えます。

ファンの方からも実に興味深い、思わず聞きたくなるような質問が出ました。

  • ビッグマウスラウドのこと
  • プライド1のこと
  • 佐山聡が猪木に「殺すぞ!」と言い放ったこと

これらについて、村上選手が丁寧に答えてくれました。
当たり前ですが、ネットや雑誌で見るのと当事者から聞くのは全く違います。

うーん、なんか、私も質問したくなってきました!

聞いちゃおうかな~、どうしようかな~、怖いなぁ~怖いなぁ~。
いるのかなぁ~、いないのかなぁ~と。

稲川淳二

ここで質問しなかったら、この先ずっと後悔する気がしたんですよね。
だから、思い切って手を挙げてしまったんですわ。

2003年大晦日・「猪木ボンバイエ」のステファンレコ戦のこと

2003年大晦日、猪木ボンバイエが神戸で開催されました。

その年の大晦日は、まさかの格闘技大戦争

  • プライド男祭り
  • K-1ダイナマイト
  • 猪木ボンバイエ

民法各社はこぞって格闘技中継を流し、「紅白歌合戦vs格闘技」になりました。

そんな中、猪木ボンバイエで行われたのが「村上和成選手vsステファンレコ」だったのでした。

レコ選手はk-1の裏実力ナンバーワンと言われていた名選手。
そんな打撃トップファイターに、プロレスラーの村上選手がK-1ルールで挑んだのでした。

その時の心境はどうだったのか?なぜあえてK-1ルールで試合をしたのか?
どうしても聞きたかったので、質問させていただきました。

ただ格闘技の試合をしても面白くない!楽しまなきゃいけない

村上選手曰く、

「プロレスラーになってから、自分の意思で格闘技の試合をしたことは一回もなかった。
猪木ボンバイエの時も、格闘技の練習をしている選手に出場を譲るべきだと思っていたけど、どうしても出て欲しいと当時の社長に言われた。
3つほどカードを提示され、うち2つは外国人との総合ルール。もう1つがステファンレコ戦で、即答でレコ戦を選んだ。ただの試合をしても面白くない、楽しまなきゃいけないと思った」

とおっしゃっていました。
さすがに驚かれたらしいですが、ほぼk-1ルールへの準備無しで試合に臨んだらしいです。
試合前にK-1の武蔵選手に花束を投げつけたことは、「本能だった」とのこと!

K-1関係者には、高評価だったとか(笑)

村上選手の話を聞いているうちに、当時のことを鮮明に思い出してきましたね。
当時「これぞプロレスラーだ!」と思っていたけど、やはりその認識は正しかったようです。

ご本人の口から話を聞けて、感無量でした!

検証会終了・めちゃくちゃいい人でした!

濃い、濃すぎる時間でしたよ。
参加者全員で記念撮影、会場の撤収時間が迫っているということで外に出ます。

外に出たところで、村上選手と写真を撮っていただきました!

めちゃくちゃいい人でした!

「ヒール(プロレスの悪役)は人格者にしかできない」とよく言われますが、村上選手も例に漏れずとても紳士でした。

もしかしたら、良い人と明かしてしまうのはヒールの選手にとって営業妨害かもしれませんね。
でもプロレスファンなら、村上選手が人格者であることは、皆知っているでしょう。

「村上選手は本当はいい人」と言う説は、間違いありません!

こうして検証会に参加できて本当によかったです。
夢中になって観ていた頃の気持ちも甦りましたし、全ての始まりのきっかけに触れられて、これから何かやってやろうという活力が沸いてきました。

令和最初の8月は、とても充実したものになりました!

追記:村上選手が新日本プロレスに参戦してから20年が経ちました

2020年を迎えました!

村上選手が新日本プロレスに初参戦した2000年1月4日東京ドーム。
「橋本真也・飯塚高志vs小川直也・村上和成戦」でした。

早いもので、あれから20年。

怪我のリハビリに励まれていましたが、2020年3月に復帰が決まりました!